忍者ブログ
◆◇ご注意◇◆ カテゴリーによっては、お話のネタバレが載っている場合があるのでお気をつけ下さいまし。 ※「お返事」カテゴリーは、戴いたメッセージの内容によっては、お返事の内容もネタバレの可能性がありますので、お心当たりの方以外は読むのを避けた方が無難なこともあります。
Admin | Write
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ある人の歌を聴いていて、ふと思ったので書いてみます。

「あなたの大切な人を思い浮かべて聴いて下さい」
「あなたの大切な人への想いを改めて感じるきっかけになればと思います」

こういうセリフを聞いて、最初に思い浮かべる『大切な人』って、誰ですか?




わたしね。
……家族なんです。
自分の父や母、兄や祖母、そして飼っていた犬。
自分の家族。

恋人でも友達でもなく。



まあ、今はわたしも恋に浮かれとんちき(←?)な時期を過ぎましたから、さもありなんでもありますが、実は実は、思い返してみれば、若かりし頃からそうだったように思います。

自分にとって大切な人を順番に浮かべていくと、まず家族、そして友達、次にその時好きな人w



もちろん、恋愛熱ピークで、大好きで大好きで仕方のない彼がいて、「彼だけいれば何もいらないわっ」って思ったことがないわけではありません。

いえ、ありました。ありましたよ。恋愛に夢中だったこと。

だけどそういう時でも、「彼がいれば何もいらないっ」って言いながら、冷静に「選ばなきゃならなくなった時、どうする?」って聞かれると、わたしは家族を選んでしまっていたのです。別に選ばなきゃなんなくなったわけじゃないから口だけだけどww



彼氏は大事。とてもとても大事ですね。大好きで大好きで仕方がないのなら尚のこと、失ったら気が狂うとさえ思ったりします。

友達がとても大切。何にも変え難い、大事な友人が何人もいます。彼女たちの為なら、わたしは何でもするでしょう。

だけど、今のわたしは、親のことを何よりも、とてもとても大切に想っています。
本当に、とてもとても大切なのです。
喧嘩もたくさんしたし、よその子になりたいと思ったこともあるし、縁を切ってやろうとか家を出てやろうとか思ってたこともあります。
父親のことを死ぬほど嫌ってたりもしました。




でも、今こうして「それでもこの両親の元に生まれて良かった」と思えていて、誰より大切だと思えると言うことは……きっと、幸せなことなのでしょうね。










拍手[0回]

PR
うまく言えるか自信がないのですが。
ちょっとした生活の愚痴と悩みがてら、こんなところへ徒然なるままに(?)
本当に愚痴みたいなものですよ。
暗い気持ちになるか、読んでいて面倒臭くなる可能性が大ですw
すみませんねえ、本当……。




ここ数ヶ月、余りに自分の周囲に「人の悪口を言って喜ぶ人」が増え過ぎて、正直驚いています。
「こいつら、大丈夫か?」「性格悪すぎじゃないか?」「こんなんで、これまでの職場で良くやってこられたな」等々、思ったりします。

だって、聞いていて陰湿なんだもの。

愚痴なら、そりゃあ誰にでもあることでしょう。
ま、わたしだって他人のことは言えない、ここでぼちぼち吐いてますよw
悪口もまあ……好きではないけれど、あってもしょうがないんだとは思います。
前からブログを読んで下さっている方はご存知かもしれませんが、以前の職場の上司にはわたし自身ブチ切れでしたし。←今も逃げ回ってるほど

「こういうことされて腹が立ったから、あの人のことが嫌いだ。だから(仕事上何気ない振りはするけど)出来るだけ関わりたくないし、親しく話すなんて論外だし、ビジネス上だけの付き合いで」と言うのは、まあ、わかります。

同じ誰かに話すにしても、「こういうことがあって、だから腹が立ったんだ」という話なら、仕方がない。


でもね。


いわゆる嘲笑、表で仲良しのふりをして、陰で小馬鹿にする、おちょくってるとしか思えない陰口を言う……どうやらわたしは、この類のことが陰湿に思えて仕方がないのです。

例えば、その対象者が星を見るのが趣味だとしましょう。(これ、本当にただの仮定に過ぎないですけど^^;)
毎年星を見るために、休暇で屋久島に星を見に行くとしますね。

すると、こういう人たちは、彼がトイレに立った時に、例えばこういう言い方をするわけです。

「あいつ、どこ行った?」
「星でも見に行ってんじゃねえの? 今頃屋久島じゃん?」
「そのまま住んじゃえば良いのに」
「ってか、戻る飛行機、落ちりゃいーのに」

……みたいな。
わかります? 何だろうな、こういう嘲笑系の陰口ですよ。
実際はこんなもんに留まらないですけど。
まるで小学生のいじめに似てます。
それ、趣味じゃん! 彼の趣味が何だろうが、あんたにも仕事にも全然関係なければ影響もないじゃん! 口出す筋合いじゃないし、まして馬鹿にする筋合いでもないんじゃっ?



こういうのを日々聞かされていると、こちらの気持ちが病みます。
言われる側の気持ちを想像すると(知らないから良いけど)堪らない気持ちになります。
彼らは、そういうことを考えないんだろうか。
せめて、その人を知らない無関係の人に向かって言えば良いと思うのに。
(だって会社内で言ってると、その人の社会的立場にも影響があるし、そんなふうに思ってなかった人だってそういうもんかと思うようになっていくじゃない)

わかってるんですよ。
別にわたしが善人のわけでは全然なく、単に基準値の違いなんだろうと。
わたしだって愚痴るし、悪口だって多分皆無ではないし、ただ言う内容や頻度、思うことについての価値観が違うだけで、わたしだって彼らと同じであるはずなんです。

だけど、どうしてこうも彼らの言動に苛立ち、ストレスが溜まっていくのかと考えた時に、二つのことがわかりました。



まず、わたしの友人たちと言うのは、他人の悪口をまず言わないのです。

これは、今回いろいろ考えていて、今になって初めて気がつきました。
わたしが付き合いの長い友人と言うのは、人の悪口をまず言いません。
嘲笑なんてしてるところ、想像がつきません。

だって、お互い共通の知り合いの悪口を言わないだけでなく、「会社でこういう人がいて、こうこうこうで、さいってえ」みたいな仮名悪口さえ言わないのです。

だから、わたしは友人たちと悪口に花を咲かせて喜ぶことがありませんでした。
出る愚痴は基本的に「忙しいよー」とか、そんな感じ。
あとは、他のあほな話で盛り上がってるか、語ってるかw

そして実は、最初の職場を除いて以降の職場では、そうやって陰口叩いて喜んでいる人種が、いませんでした。
みんな、わたしと同じで「腹立っても、ま、どーでもいーやー」と基本的には他人事系だったのです。

だからきっと、今の職場のような空気に、わたし自身が余り馴染みがないのでしょう。
そしてわたしは、社会人としてそれこそが当たり前だと思っていました。



もう一つ。
良く良く考えてみれば、二十代前半……初めて就職した会社では、確かにわたしも似たようなことを言っていたような気もします。
さすがに今聞いているほどひどいことは言っていなかったように思いますが、何せ己の記憶のこと、自分に対する自己弁護で美化されているかもしれないし、いずれにしても言われている本人にしてみれば決して嬉しくはないだろうことであったのは間違いないと思います。
だけど言う側にしてみれば深い意味はなく、大して好きだ嫌いだでもなく、とにかく面白おかしく。

笑いが取れれば、それでおっけー。
そうして同僚とのネタにして、仲間意識が深まっていた人もいたんじゃないだろうか。
嘲笑される対象の人間の気持ちなんて考えてなかったかもしれません。

つまり、単にわたし自身が変わっただけ。
逆に言えば、異質なのはきっと、こんなふうに「他人が他人の悪口を言うのを聞いてストレスを溜める今のわたし」なのでしょう。

彼らが「こいつらの感覚信じられない。おかしい。人間性歪んでる」のではなく、「わたしがどこか異物」なのだろう。





そう考えると、黙ってあわせているのが一番良いのかもしれません。
陰口の現場にいれば陰口を言い、当人の前では親しい顔して話を引き出して盛り上がって、そしてまた陰に回ればそこで仕入れた話をネタに盛り上がる。←職場の人たち、今、本当にこんな。

だけど、自分の価値観がおかしくなっているのだとしても、「見ていて気持ち良いと思えないこと」に加担する自分になるのは、やっぱり嫌。
「いい人ぶってる」とか「偽善者」とか言われても、嫌なものは嫌。

どうしてもそれは、染まって歪んでいくように思えてならない。
小学生のいじめみたいなことを、一緒になってやって喜んでる大人には、今更ながらなりたくない。

こんなことで躓いて悩んでいる自分はガキなんだろうかと思いつつ、世間一般にはこんなことが当たり前なのかもしれないと暗澹たる気持ちになる今日この頃。

せっかく夢叶えて就職した今の職場なのに、気持ち良く働きたいよねえ……。







拍手[0回]

いろんな意味でギリギリのネタのような気がするので、一つ裏である(?)「独り語り」にて。








犯罪――――罪を犯すと言うことですが、当たり前の認識として「犯罪を犯す人が悪い」です。

だけど時々考えます。
本当に、悪いのは犯罪者なのか……いえ、罪を犯した時点で悪いので語弊がありますね。
悪いのは犯罪者「だけ」だったのか。


……などと言うことを考えたのは、現在高野氏の「十三階段」を読み直しているからです。
そしてこんなことを考えると、かつて読んだ貴志氏の「青の炎」を思い出します。


「十三階段」
これは、殺人の前科をもつ主人公が、残虐殺人の犯人として死刑囚となった青年の冤罪を証明するべく奔走する物語。

>「青の炎」
義理の父親の殺害を心に決めた高校生の少年が、優秀な頭脳を駆使して緻密な計画を練り、遂行し……というお話。


この二つのお話に共通するのは、「殺人を犯すほど追い詰められた主人公の心理」が、残念ながら「理解できなくない」と言うところです。

自分だったら、果たしてどうするだろうか?
この主人公たちの置かれた境遇で、真っ当にいられる人間はどれほど存在するのだろう?
……まあ、ぶっちゃけわたしは殺しはしないだろうと思いますが(あれ?)、人間的嫌悪感は、残念ながら、物語中で殺された側の人間に抱いてます。




念の為申し上げますが、わたしは許される殺人があるとは思ってません。
どんな理由があっても、生命を絶つのはいけないことだと思っています。
全ての可能性を摘み取ってしまい、近しい人々の心に一生消えない傷を負わせるのは確かです。
だから絶対に駄目です。
そう思ってます。
そして、それらの話は小説であるということもわかっています。当たり前ですが。
しかしながら、これらの物語の中で殺害された被害者のような人物像は、現実にもいないわけではありません。
と言うことは、そういった人物に憎悪を抱かざるを得ない人間も、恐らくは数多と存在するんです。



だとすると、果たして自分も絶対にこうならないと言い切れるんだろうか?



一応、自分のことを危ないヤツだと思ったことはありません^^;
キレやすいこともなく、いえむしろ沸点が余りにも高いらしくて感情的になること自体がほとんどないです。

んで、ここ二年ほどは「ふざけんなよ?」と思う程度に怒った記憶は一度だけ。

だけど、そんなわたしでも、怒りの余り眩暈がし、頭痛がし、胸を圧迫されるほどの感情を覚えたことが、覚えているだけでも一度だけあります。
ま、殺意まではもちろん抱いてないですけど^^;、内心で呪詛ぐらいは吐いたし。
もしかすると、ずっとブログを読んで下さってる方は覚えがあるかもしれませんね。わたし、ここで錯乱してましたから。←こら
まるで万力で脳味噌を締め付けられているかと思うような強い圧迫感と眩暈と吐き気を覚え、強い怒りと言うものがどういう感情なのかを多分初めて知ったような気がします。
それほどに屈辱的で許せないと思う出来事でした(つか、その頃のわたし自身の精神状態もかなり切迫してたので)



例えば、そういう「一瞬で頭の中をわけがわからないほど支配する感情」がもっと昂ぶったり。
あるいは、自分の大切な大切な何かが追い詰められて、どうしてもそれを守りたいと思ったり。



そういうことが絶対ないとは、言い切れないんだろうなあ。



わたしは自分の母親をとてもとても大切に思っているので、恐らく母が何者かによって「生きていくことが耐え難いほどの苦痛」を日々与え続けられているとしたら、場合によっては考えちゃうのかもしれません。
「あいつを消さなければ」とか。




「人を殺すのはいけないこと」とは、誰もが思っているはずです。
倫理的にのみならず、生理的に、生命を絶つ行為に嫌悪感を覚えるものだとも思います。

だけど、人を殺してしまった人でも、「昔思い描いていた未来の自分」が「殺人者」であったなんてことはないでしょう?
そりゃ中には「俺は人を殺してみたいと思っている」とか「凶暴な衝動がある」とか「歪んだ欲望がある」とか思ってる人もいるのかもしれませんが、大概の人は「子供の頃夢見ていた自分」はもっと別の姿だったはず。
時折切なくなるのが、もう80歳とかになって介護疲れの余り連れ合いを殺害してしまうような事件。
一体、彼(彼女)は、若い頃にそんな老後を想像したことがあっただろうか。


でも、ふとした何かのきっかけで、予定の道とは違う道を歩いていたんでしょうね。
本人さえももしかすると気づかないままに。


人って、多分それほど精神的に強い生き物ではないような気がします。
「罪を犯してはいけない」とは誰もが知っているのに、極限の状況に追いやられた時に、自分がどうなるのか、わからないのかもしれません。

通常の日々を営んでいる中では、もちろん誰かに殺意を覚えるようなことはないでしょう。
もしも覚えたとしても、実行に移すことはないのが普通。

だけど、自分の大切なものを極限まで踏み躙られた時に訪れる心の荒廃や、自分でも制御できないほどの強い感情と衝動が、決してこの先も訪れることはありえないとは、誰にも言い切れないんじゃないかと思ったりします。




通常の精神状態である現在、そんな恐ろしいことはしてはいけないと思い、したくないとも思い、考えるのすら嫌だと思う。

だけど、極限まで追い詰められたことがないからこそ言えることなのかもしれません。

そして、極限まで追い詰められるような事態になるかどうかは、誰にもわからないような気もします。








ああ、安泰に生きたいですね……。←オチ、そこ?




拍手[0回]

好きになるって、どういうことだっただろう?
最近時々考えます。

別に萎れているわけじゃないですよw
いや、確かに前は「もうそんなん忘れちまったぃ(´ヘ`;)」とか思ってて、そのくせ恋愛ものを書いたりなんぞして(笑)、必死こいて過去の記憶を掘り返したりもしたわけですけど。

いやいや、いろいろと周囲に動きもあったり、環境が変わったり、状況が変わったり。
なんてわけで、そんなことを考えるわけです。
別にわたしだけのことではなく、ちょっと友人の話とか聞いたりしてね、その……いろいろあるわけですよw
だからまあ、前の「独り語り」の続きみたいな内容になってるわけですが。




最初はほんの些細な好意に過ぎず、「いいな」「優しいな」「かっこいいな」なんて言う、翌日になれば忘れてしまいかねない感情なんでしょうね。
だけど、そんなことが全てのきっかけだったりする。

「いいな」って思ったけど、ちょっと親と喧嘩したら、友達とカラオケ行って楽しかったら、難しい宿題に熱中していたら、そんなふうに思ったことさえ忘れてしまうような他愛ない感情。

もしもそのまましばらく会わなかったら、気に留めることもなく心の片隅に追いやられて消えてしまうんでしょう。
泣くことも、傷つくことも、もちろん幸福を感じて微笑むこともないまま。

だけど、次の日に会ったら、『昨日そう感じたこと』を思い出し、ちょこっとだけ意識する。
そして今日も『いいな』と感じる。

そうして少しずつ積み重ねて、自分でも気がつかないうちに『好意』の貯蓄が出来ていって、自覚した時にはもう『好き』になっている。
その時にはもう、諦めようと思っても涙なしには断ち切ることが出来ないような想いに育っていて、会いたくて、知りたくて、そばにいたくて。


……そんなふうに始まる、んだったような気がします。
ま、人によっても恋によってもいろんなパターンはあるでしょうから一概には言いませんが。
学生時代なんかは、わたしは同級生の男の子にばかり片想いをしていましたから、基本的に毎日会うような人のことを好きになっていたわけです。
ある程度コンスタントに会えることが決まっている人で(だって学校で会うわけで)、日常の姿を見て、ちょっとした積み重ねをしていって、『最初に感じたほんのちょっとのいいな』が消えずに育つ。

そういうパターンでした。多分。


だけど今、なかなかそういうことはなくなりました。
「いいな」「優しいな」「かっこいいな」……そう思って、思うけど、思っただけ。
なぜなら、次になかなか会う機会が来ないから。
そしてそう思ったことをすっかり忘れ去った頃に、再び思うかもしれない。
「いいな」「優しいな」「かっこいいな」……言ってしまえばリスタートです。過去に思った感情に積み重ねるのではなく、イチから積み直し。
だけどまた、次に積まれる機会がないままに消滅して……。


これじゃあ、新しい恋愛すんの、難しいぢゃん。


だから逆に、見つけて、育ってしまった感情は、大切にしてあげて欲しい。
そう思うものの、そんな願いに反して道ならぬ恋の確率は年と共に上がりもします。
みんながみんなそうではないけれど、好きになってしまった人のそばに既に誰かがいる確率は、十代の頃よりずっと高くなる。



泣いて欲しくはない。
泣かせて欲しくない。
傷つけて欲しくもない。
もちろん傷ついて欲しくもない。



味方についてあげたいけれど、どう応援してあげるのが一番良いことなのか、時々わからなくなる。







拍手[0回]

おおう。何だかちょっと切な系の乙女ちっくなタイトルじゃないですか?w
今回はいつものように肩透かしではなく(笑)、そんな内容を。



『好きになってはいけない人』……時々見かけるフレーズのような気がします。
ので、ちょっと思ってみた。
それって、どういう人なんだろう?


代表格(?)としては、やっぱり『誰か』がいる人でしょうか。
配偶者はもちろん、彼氏や彼女がいる人。
更にそれが『友達の』とかだったりすると、もう悲惨としか言いようがないですね。

そこまでいかなくとも、友達の好きな人と言うのも些かしんどいかなと思ったりします。

あとは、立場や環境の違い過ぎる人とか?
近親者とか?
同性……は、今時って気もしますが^^;
うーん。意外とあんまり思いつかないんですけどw



でも、本当に『好きになってはいけない人』っているんでしょうか?



いや、そりゃあ倫理的・道徳的に余り良くないだろうって人はいるのかもしれない。
それこそ……ほら。
一応、近親者とか、不倫とか、世間的に歓迎されるものではないでしょう。
近親者の場合は特に、生まれて来る子供がどうとかって物理的理由もあるわけですが。

でも、感情って自分自身でもどうにもならないものじゃないですか。
いけないからやめるってほど簡単だったら、誰も悩まないでしょ。

そう考えると『好きになってはいけない』と言う言葉自体がナンセンスなような気がします。

元々自分でコントロール出来るものではないものに禁忌を指定したって、「だからコントロール出来ないってば」ってことじゃないでしょうか。



……とか。
そんなふうに思ってみたりします。



とは言え、野放しを推奨するわけじゃないですけどね。
自分がそうならそれで良いって言うのは良くないわけで、人の気持ちとかそういうのも……考えなければいけないとわかっています。
念の為申し上げておきますが、(近親者相手の恋愛は良くわからないし、身近じゃないので置いておいて)不倫とか浮気とかを肯定してるわけでもないんですけどね。
元々わたしは、「許せないっ」ってタイプでもあったりするので。



ですが、年食って少し変わりました。
される側はたまったものじゃない。
だけど、する側もしたくてするわけじゃないかもしれない。
どちらの気持ちにも頷いてしまうイエスマンになってしまいました。
ちなみに『ただの遊び』は論外として、この場合含んでません。



好きになってはいけないと言ったって、なってしまった場合はどうするの?
誰だって別に、状況や条件を吟味してから好きになるわけじゃないじゃない。

……いや、そういう人もいるのかもしれないですが。
そして『感情では仕方がない』でも『理屈で良くない』のであれば……いずれは諦める為にたくさん泣いて悩まなきゃいけないのかもしれないですけど。





などと言うことと共に、Blowin'亮くん主役の「戻れない夏」と言うお話のことを考えています(笑)

時期が被り過ぎちゃって、やめようかなとか思いもしたんですが……「Distance」が終わったらやっぱしコレになるかなあ。

お察しかと思いますが、(「White Road」内既出の)不倫ネタです。







……わたしの嫌いなw






拍手[0回]

++Welcome++
♪Calender
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
♪Profile
HN:
市尾弘那
HP:
性別:
女性
趣味:
読書、音楽、スキー、カラオケ
自己紹介:
オリジナル小説のサイト運営中♪
現在、バンド物の音楽小説と連載中の異世界ファンタジーがメインになってます。
イラストもあります。
♪Search
QR
忍者ブログ [PR]

Designed by