◆◇ご注意◇◆
カテゴリーによっては、お話のネタバレが載っている場合があるのでお気をつけ下さいまし。
※「お返事」カテゴリーは、戴いたメッセージの内容によっては、お返事の内容もネタバレの可能性がありますので、お心当たりの方以外は読むのを避けた方が無難なこともあります。
いろんな意味でギリギリのネタのような気がするので、一つ裏である(?)「独り語り」にて。
犯罪――――罪を犯すと言うことですが、当たり前の認識として「犯罪を犯す人が悪い」です。
だけど時々考えます。
本当に、悪いのは犯罪者なのか……いえ、罪を犯した時点で悪いので語弊がありますね。
悪いのは犯罪者「だけ」だったのか。
……などと言うことを考えたのは、現在高野氏の「十三階段」を読み直しているからです。
そしてこんなことを考えると、かつて読んだ貴志氏の「青の炎」を思い出します。
>「十三階段」
これは、殺人の前科をもつ主人公が、残虐殺人の犯人として死刑囚となった青年の冤罪を証明するべく奔走する物語。
>「青の炎」
義理の父親の殺害を心に決めた高校生の少年が、優秀な頭脳を駆使して緻密な計画を練り、遂行し……というお話。
この二つのお話に共通するのは、「殺人を犯すほど追い詰められた主人公の心理」が、残念ながら「理解できなくない」と言うところです。
自分だったら、果たしてどうするだろうか?
この主人公たちの置かれた境遇で、真っ当にいられる人間はどれほど存在するのだろう?
……まあ、ぶっちゃけわたしは殺しはしないだろうと思いますが(あれ?)、人間的嫌悪感は、残念ながら、物語中で殺された側の人間に抱いてます。
念の為申し上げますが、わたしは許される殺人があるとは思ってません。
どんな理由があっても、生命を絶つのはいけないことだと思っています。
全ての可能性を摘み取ってしまい、近しい人々の心に一生消えない傷を負わせるのは確かです。
だから絶対に駄目です。
そう思ってます。
そして、それらの話は小説であるということもわかっています。当たり前ですが。
しかしながら、これらの物語の中で殺害された被害者のような人物像は、現実にもいないわけではありません。
と言うことは、そういった人物に憎悪を抱かざるを得ない人間も、恐らくは数多と存在するんです。
だとすると、果たして自分も絶対にこうならないと言い切れるんだろうか?
一応、自分のことを危ないヤツだと思ったことはありません^^;
キレやすいこともなく、いえむしろ沸点が余りにも高いらしくて感情的になること自体がほとんどないです。
んで、ここ二年ほどは「ふざけんなよ?」と思う程度に怒った記憶は一度だけ。
だけど、そんなわたしでも、怒りの余り眩暈がし、頭痛がし、胸を圧迫されるほどの感情を覚えたことが、覚えているだけでも一度だけあります。
ま、殺意まではもちろん抱いてないですけど^^;、内心で呪詛ぐらいは吐いたし。
もしかすると、ずっとブログを読んで下さってる方は覚えがあるかもしれませんね。わたし、ここで錯乱してましたから。←こら
まるで万力で脳味噌を締め付けられているかと思うような強い圧迫感と眩暈と吐き気を覚え、強い怒りと言うものがどういう感情なのかを多分初めて知ったような気がします。
それほどに屈辱的で許せないと思う出来事でした(つか、その頃のわたし自身の精神状態もかなり切迫してたので)
例えば、そういう「一瞬で頭の中をわけがわからないほど支配する感情」がもっと昂ぶったり。
あるいは、自分の大切な大切な何かが追い詰められて、どうしてもそれを守りたいと思ったり。
そういうことが絶対ないとは、言い切れないんだろうなあ。
わたしは自分の母親をとてもとても大切に思っているので、恐らく母が何者かによって「生きていくことが耐え難いほどの苦痛」を日々与え続けられているとしたら、場合によっては考えちゃうのかもしれません。
「あいつを消さなければ」とか。
「人を殺すのはいけないこと」とは、誰もが思っているはずです。
倫理的にのみならず、生理的に、生命を絶つ行為に嫌悪感を覚えるものだとも思います。
だけど、人を殺してしまった人でも、「昔思い描いていた未来の自分」が「殺人者」であったなんてことはないでしょう?
そりゃ中には「俺は人を殺してみたいと思っている」とか「凶暴な衝動がある」とか「歪んだ欲望がある」とか思ってる人もいるのかもしれませんが、大概の人は「子供の頃夢見ていた自分」はもっと別の姿だったはず。
時折切なくなるのが、もう80歳とかになって介護疲れの余り連れ合いを殺害してしまうような事件。
一体、彼(彼女)は、若い頃にそんな老後を想像したことがあっただろうか。
でも、ふとした何かのきっかけで、予定の道とは違う道を歩いていたんでしょうね。
本人さえももしかすると気づかないままに。
人って、多分それほど精神的に強い生き物ではないような気がします。
「罪を犯してはいけない」とは誰もが知っているのに、極限の状況に追いやられた時に、自分がどうなるのか、わからないのかもしれません。
通常の日々を営んでいる中では、もちろん誰かに殺意を覚えるようなことはないでしょう。
もしも覚えたとしても、実行に移すことはないのが普通。
だけど、自分の大切なものを極限まで踏み躙られた時に訪れる心の荒廃や、自分でも制御できないほどの強い感情と衝動が、決してこの先も訪れることはありえないとは、誰にも言い切れないんじゃないかと思ったりします。
通常の精神状態である現在、そんな恐ろしいことはしてはいけないと思い、したくないとも思い、考えるのすら嫌だと思う。
だけど、極限まで追い詰められたことがないからこそ言えることなのかもしれません。
そして、極限まで追い詰められるような事態になるかどうかは、誰にもわからないような気もします。
ああ、安泰に生きたいですね……。←オチ、そこ?
犯罪――――罪を犯すと言うことですが、当たり前の認識として「犯罪を犯す人が悪い」です。
だけど時々考えます。
本当に、悪いのは犯罪者なのか……いえ、罪を犯した時点で悪いので語弊がありますね。
悪いのは犯罪者「だけ」だったのか。
……などと言うことを考えたのは、現在高野氏の「十三階段」を読み直しているからです。
そしてこんなことを考えると、かつて読んだ貴志氏の「青の炎」を思い出します。
>「十三階段」
これは、殺人の前科をもつ主人公が、残虐殺人の犯人として死刑囚となった青年の冤罪を証明するべく奔走する物語。
>「青の炎」
義理の父親の殺害を心に決めた高校生の少年が、優秀な頭脳を駆使して緻密な計画を練り、遂行し……というお話。
この二つのお話に共通するのは、「殺人を犯すほど追い詰められた主人公の心理」が、残念ながら「理解できなくない」と言うところです。
自分だったら、果たしてどうするだろうか?
この主人公たちの置かれた境遇で、真っ当にいられる人間はどれほど存在するのだろう?
……まあ、ぶっちゃけわたしは殺しはしないだろうと思いますが(あれ?)、人間的嫌悪感は、残念ながら、物語中で殺された側の人間に抱いてます。
念の為申し上げますが、わたしは許される殺人があるとは思ってません。
どんな理由があっても、生命を絶つのはいけないことだと思っています。
全ての可能性を摘み取ってしまい、近しい人々の心に一生消えない傷を負わせるのは確かです。
だから絶対に駄目です。
そう思ってます。
そして、それらの話は小説であるということもわかっています。当たり前ですが。
しかしながら、これらの物語の中で殺害された被害者のような人物像は、現実にもいないわけではありません。
と言うことは、そういった人物に憎悪を抱かざるを得ない人間も、恐らくは数多と存在するんです。
だとすると、果たして自分も絶対にこうならないと言い切れるんだろうか?
一応、自分のことを危ないヤツだと思ったことはありません^^;
キレやすいこともなく、いえむしろ沸点が余りにも高いらしくて感情的になること自体がほとんどないです。
んで、ここ二年ほどは「ふざけんなよ?」と思う程度に怒った記憶は一度だけ。
だけど、そんなわたしでも、怒りの余り眩暈がし、頭痛がし、胸を圧迫されるほどの感情を覚えたことが、覚えているだけでも一度だけあります。
ま、殺意まではもちろん抱いてないですけど^^;、内心で呪詛ぐらいは吐いたし。
もしかすると、ずっとブログを読んで下さってる方は覚えがあるかもしれませんね。わたし、ここで錯乱してましたから。←こら
まるで万力で脳味噌を締め付けられているかと思うような強い圧迫感と眩暈と吐き気を覚え、強い怒りと言うものがどういう感情なのかを多分初めて知ったような気がします。
それほどに屈辱的で許せないと思う出来事でした(つか、その頃のわたし自身の精神状態もかなり切迫してたので)
例えば、そういう「一瞬で頭の中をわけがわからないほど支配する感情」がもっと昂ぶったり。
あるいは、自分の大切な大切な何かが追い詰められて、どうしてもそれを守りたいと思ったり。
そういうことが絶対ないとは、言い切れないんだろうなあ。
わたしは自分の母親をとてもとても大切に思っているので、恐らく母が何者かによって「生きていくことが耐え難いほどの苦痛」を日々与え続けられているとしたら、場合によっては考えちゃうのかもしれません。
「あいつを消さなければ」とか。
「人を殺すのはいけないこと」とは、誰もが思っているはずです。
倫理的にのみならず、生理的に、生命を絶つ行為に嫌悪感を覚えるものだとも思います。
だけど、人を殺してしまった人でも、「昔思い描いていた未来の自分」が「殺人者」であったなんてことはないでしょう?
そりゃ中には「俺は人を殺してみたいと思っている」とか「凶暴な衝動がある」とか「歪んだ欲望がある」とか思ってる人もいるのかもしれませんが、大概の人は「子供の頃夢見ていた自分」はもっと別の姿だったはず。
時折切なくなるのが、もう80歳とかになって介護疲れの余り連れ合いを殺害してしまうような事件。
一体、彼(彼女)は、若い頃にそんな老後を想像したことがあっただろうか。
でも、ふとした何かのきっかけで、予定の道とは違う道を歩いていたんでしょうね。
本人さえももしかすると気づかないままに。
人って、多分それほど精神的に強い生き物ではないような気がします。
「罪を犯してはいけない」とは誰もが知っているのに、極限の状況に追いやられた時に、自分がどうなるのか、わからないのかもしれません。
通常の日々を営んでいる中では、もちろん誰かに殺意を覚えるようなことはないでしょう。
もしも覚えたとしても、実行に移すことはないのが普通。
だけど、自分の大切なものを極限まで踏み躙られた時に訪れる心の荒廃や、自分でも制御できないほどの強い感情と衝動が、決してこの先も訪れることはありえないとは、誰にも言い切れないんじゃないかと思ったりします。
通常の精神状態である現在、そんな恐ろしいことはしてはいけないと思い、したくないとも思い、考えるのすら嫌だと思う。
だけど、極限まで追い詰められたことがないからこそ言えることなのかもしれません。
そして、極限まで追い詰められるような事態になるかどうかは、誰にもわからないような気もします。
ああ、安泰に生きたいですね……。←オチ、そこ?
PR
++Welcome++
♪What's NEW
(10/16)
(02/28)
(12/30)
(07/12)
(06/21)
(05/31)
(02/07)
(12/14)
(11/01)
(01/11)
♪Category
♪Calender
♪Profile
HN:
市尾弘那
HP:
性別:
女性
趣味:
読書、音楽、スキー、カラオケ
自己紹介:
オリジナル小説のサイト運営中♪
現在、バンド物の音楽小説と連載中の異世界ファンタジーがメインになってます。
イラストもあります。
現在、バンド物の音楽小説と連載中の異世界ファンタジーがメインになってます。
イラストもあります。
♪Search