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ここ最近、このカテゴリで書いていることが少々重いでしょうかねw
実は「黒い家」と言うわたしが大好きな貴志祐介氏の小説を久々に読み返してふと思ったので、「QUEST」と絡めて書いてるだけですが。←ぇ?



人の心とは、何なのでしょう?



もちろん、何の関係性もなく絡めているわけじゃありません^^;
今公開中の部分(第3部第2章8話)までお読み下さった方は、絡めた理由もお察しだと思います。

カズキが暗いからです(違

自我、個性、存在の意味、そして心……機械のように形成されている部品の集合体が生み出す作用、とは一概に割り切れない不可解なものですね。
脳の発する命令を受け止めた身体が、それに忠実に行動する。
しかしながらそれだけでは、片がつかないわけです。


あ、おわかりでしょうが、わたしは別に医学も心理学も専門家じゃないどころか何も知らないので、ただの精神論的な話ですよw


ただ、その人格形成……『心』と呼ばれるものを含めた思考回路や嗜好、衝動は、育成されていく環境のみならず、遺伝子レベルや物理的な構造形成にもよるようです。

物理的に、例えば脳に欠損があれば人格にも障害が出得るし、環境に不備があればやはり人格に欠落が生まれ得る。
全てがそうとは限りませんが、少なくとも物理的不備が皆無で、一般的に健康とされる環境で育った人間よりは確率が上がる……のかもしれません。

でも一概にそうとは言えず、不備がなくともやはり生まれ得るのでしょうか。


そうして人格的な不能者と言うのは、もしかするとわたしが知らないだけで世の中には数多といるものなのかもしれません。
いえ、ともすればわたし自身そうでないとは言えません。
だってわたしは本人ですから、わかりませんもん。



けれど、そう言った人格的不能者……言い換えれば『心無い人間』と言うのは、一体どんな基準によって決定されるんでしょうかね。
逆に『普通の人間』『当たり前の人間性』の物差しとは、何なのでしょう。

医学も生物学も心理学も何も知らない無知なわたしには、その辺の定義ってのが良くわかりませんが、人間の人間らしさたるゆえんと言うものが、いかに曖昧なものなのだろうかと考えたりします。


個々の人間は全て違い、あらゆる意味で同一の存在など存在しない。
同一規格が存在しないのであれば、大なり小なりの違いは当然であり、よって普通など存在しない。
表面的にどう振舞っているのであれ、心の奥底の蓋を開いてみれば、そこはあらゆる混沌のるつぼのような気もします。

例えば残虐な行為を冷然と行える人に対して「心無い」と言われますね。
だけど、残虐性は誰しもが持っているものだし、例えばネットで残虐映像が喜ばれたり、映画や漫画、小説なども愛好家がいるから残虐性はなくならないわけです(ま、ウチも大概やってるかもしれませんが)。
見るのとやるのとは大きな隔たりがあるのでしょうが、そういった残虐性を少なからず誰もが持っているのだと仮定すると……うーん、それをも含めて「人であり」「心」なのだろうか。




でも。
それでもやっぱり、『人が人であるゆえん』『人間らしさ』と言うのは、恐らく言葉にならない実に曖昧なところで存在する。

……はず。



心を凍結しているカズキの思考回路を追いながら(お気づきかどうかわからないですが、第3部第2章に入ってからのカズキは『考える』だけで『感じている』表現がないんです。……ないはずなんですorz)、そんなことを考え続ける羽目になっているいちおの脳味噌もカオスですorz










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